あの日の会話を
覚えているでしょうか……
初恋 7
夢を、見た。
場所は青学中等部の図書室。
私は図書委員で、人の少ない図書室を満喫している。
季節はきっと、暑くも寒くも無い頃。
私は誰かと会話している。
それは一体、誰だったんだろうか。
『洋書は難しくないよ。』
『僕でも読めますか?』
『すぐには無理でも、慣れれば大丈夫だよ。』
幼さの抜けないその人は、嬉しそうに表情を和らげた。
『先輩のおすすめを教えてください。』
図書委員として、選書するのは当然のこと。
だけど……。
―――この子は、誰?
大音量の目覚ましで夢から覚める。
中等部の頃の夢を見た。
穏やかな日々と図書館の静寂。
大好きな本に囲まれる幸福感。
そして、誰かがいた。
「誰だったんだろうね。」
朧気に思い出されるその顔は、見覚えがあるような気がしたけれど、はっきりと思い出せない。
「きっとの所為だ。」
私が中学の頃打ち込んだことといえば、読書以外思いつかないほどの本の虫である。
本に関係する記憶を、無意識に引っ張り出してきただけだろう。
だから、これは正解じゃない。
そう思う自分がいる反面、表情の和らぎ方に共通点を見出そうとしている自分がいる。
少し色素の薄い髪。
縁の細い眼鏡。
感情の起伏が少ない声。
表情の少ない顔。
そして和らぐ表情。
ゆっくりと記憶を辿る。
毎日のように通いつめた図書室と、そこに居た少年。
周囲の笑い声が嘘のように静まり返った空間。
顔を上げると真剣な表情の少年。
沈黙と本のページを捲る音。
私は彼に、どこか見覚えのある本にメモを挟んで差し出した。
―――彼の名は……?
「あ……。」
思い出してしまった、と素直にそう思った。
手塚君の貸してくれた二冊目の本は、かつて私が彼に薦めた本の続編だった。
図書委員時代に選書を依頼してきた彼に、考え抜いた末に渡した本だったんだ。
推理小説なら男の子も読むかな、とか。
学校にあるレベルで読み応えのあるのはどれかな、とか。
シリーズものだから、続きが気になって長く読めるかな、とか。
すごく時間をかけて丁寧に選んだ本だったのに、どうして忘れていたんだろう。
選書を依頼してくる子なんてほとんど居ないのに、どうして思い出せなかったんだろう。
「手塚君だったんだ……。」
真実を言葉にして、少しだけ後悔した。
目に入ったのは、ベッドの上には三分の一だけ読み進めた本。
今起きたばかりなので、当然本は昨日の夜の状態のままそこにある。
その本のページを急いで開き、学校へ行く準備をする僅かな時間も惜しまず読み進める。
片手間で朝食を食べてお母さんに怒られるのも気にしない。
休み時間友達との会話すら聞かない。
授業中でさえ、隙あらば本を読み進めていた。
二日後、ようやく本を読み終わった。
寝る時間さえギリギリで生活していた私は、土曜日に日付が変わるのとほぼ同時に本を閉じた。
そして、思考回路さえ正常に機能していない状態でメールをした。
『読み終わったよ。』
たった一言のメールを送信し、私は深い眠りに落ちていた。
深い眠りを妨げたのは、けたたましい着信音だった。
手探りで携帯電話を引き寄せて、相手も分からずに取った。
「んー、もしもし?」
『もしもし。先輩、おはようございます。』
「ふぇ??」
スピーカーの向こうから聞こえてきたのは、耳に優しい低音だった。
その音を聴いた瞬間、寝ぼけ眼を擦っていた手が停止した。
先輩?
先輩……?
えっと、……!!
そんな心地いいテノールで私を先輩と呼ぶ人物は一人しかいない。
けれど彼から電話が掛かってくるなんてイレギュラーは想定の範囲から大いに外れていた。
私は、鳩が鉄砲玉を喰らったかのように飛び起きた。
「てってて、手塚君?!」
『そうですが?』
「お、おはようございます。」
どもりながらも返した挨拶に電話の向こうからクスリと笑う声が聞こえた、気がした。
何で電話が掛かってきているのか、現状把握さえままならない私に、手塚君は淡々と話し始めた。
『昨日の夜中にメールを下さいましたよね?』
「あ、あぁ。うん。」
『読み終わったのであれば、また今日の内に新しい本を、と思いまして。』
ようやく状況を把握し始めて、はっとする。
『俺のこと思い出してくれるまでという約束、忘れないでください。』
私、手塚君に言わなきゃいけないことがある。
すごく、嫌だけど、言わなきゃ……。
私は彼との約束を守らなくてはならない。
彼がわざわざ念を押した約束だ。
思い出してしまったからには、彼に伝えなくてはならない。
『先輩?』
「あ、えっと。」
『都合が付かないようでしたら来週でも……。』
「そうじゃないの。」
心配をしている様子の手塚君に、私はピシャリと言い放った。
「新しい本は、いらない。」
『それは……。』
「っ。とにかく、借りた本を返すから、会いましょう。」
『……分かりました。』
少しトーンダウンした声で、手塚君は今日会う約束をしてくれた。
テニス部の昼休みに青学の校門前で、という事に決まり、私は電話を切った。
通話を終えた携帯電話をしばらく眺め、こんなことをしている場合じゃないと思い直して、洗面台に向かった。
顔を洗って鏡を見ると、そこにあったのはちょっと疲れた自分の顔だった。
「寝不足全開って感じ?」
冷水で目を覚ましたものの、身体はやっぱり正直で、疲れが顔に表れている。
こんな酷い顔じゃ、手塚君に会えないな。
仕方ないから、化粧をしっかりして行こう。
そんなことを考えながらリビングに出ると、母の書置きと一人分の朝ごはんを見つけた。
どうやら母は友達と映画を見に行くらしく、まだ8時前だというのに出掛けてしまったらしい。
一人で朝ごはんを済まして部屋に戻ると、携帯電話が新着メールを告げるイルミネーションを点滅させていた。
「ん?手塚君……ではないよね。」
携帯電話を開くと、そこにはからのお誘いメールがあった。
ベッドでうつ伏せになり、メールの内容を確認した。
明日映画を見に行こう、という誘いを断る理由もないので了承する。
「さて、と。」
そして私は、手塚君に会うために準備を始めた。
その先に
どんなことが起きるのか
全く考えもしなかった……
next
あとがき+++
ようやく終盤に差し掛かってきました(笑)
今まで作ってきた伏線的なものを全て使いきれるのかは、神のみぞ知る(笑)
今回で大分話が動いたかなって感じですが、まだまだ展開が待っています。
各キャラがどう動いてくれるのか、とても楽しみです。
ついでに、マウス新調しました(笑)
キーボード、マウスとPC周辺機器が連鎖するようにご臨終です……。
by碧種
10.05.12