決意してからまだそんなに経っていないのに……
既に泣きそうな私を


責めないでください……










君にしか聞こえない  6










鳳君の家について10分とちょっと。
ふかふかのバスタオルと暖かい部屋を与えてもらった。
当の鳳君は数分前に部屋を出てしまって、ここにはいない。

すっきりと片付いた部屋を見渡す。

部屋に馴染んでいるシルバーのコンポは本棚の上。
本棚の中にはたくさんのテニス関連の本と楽譜。
クローゼットとかは少し大きめ。
セミダブルのベットの前には小さめのテーブル。
テーブルの上にはCDと楽譜。

机の上にある楽譜をパラパラめくる。

ショパンにベートーベン、バッハ、モーツァルト。
マズルカ、ソナタ、メヌエット。

見たことのある曲、聞いた事のある曲と知らない曲が混ざっている。


楽譜に見入っていると、部屋の外から鳳君の声が聞こえた。


先輩、開けてください。」
「あ、うん。」
「ありがとうございます。」


そう言った鳳君は両手にマグカップを持っていた。
白地に紺色で絵が描いてあるカップからは、白い湯気が立っている。

熱そうなカップを差し出される。


「ココアです。どうぞ。」
「ありがとう。」


熱いココアの入ったカップを受け取って、また元の場所に座る。
両手でカップを持つと、じんわりと温かさが広がった。

その間に鳳君は私の斜め前に座った。
カップを片手に持ったまま、机の上の楽譜を片付け始める。
素早く種類ごとに分けて本棚に仕舞っていった。


「すいません、片付いてなくて。」
「そんな事ないよ。寧(むし)ろ楽譜見て暇つぶししてたくらいだし。」


まだ机の上に残っていた楽譜を見る。
手に取った楽譜数冊を見て、どこかで見たことがある気がした。

2、3曲しか入っていない薄い楽譜。
黒い表紙に風景の写真。
タイトルは金字で、筆記体みたいに崩した英字。
1から順番に振ってある数字。


「あれ?」
「どうかしましたか?」
「これって一冊抜けてるの?」


6番と8番の間の数字が振られている楽譜が無かった。
まるでその数字だけ忘れ去られたように、ぽっかりと抜けていた。


「ああ、この間どこかで失くしてしまったんですよ。」


鳳君は諦めたように笑う。

その楽譜の事を諦めたのか、それとも何か他の事を……?
苦笑いともいえる笑顔で何を諦めたんだろう?

その笑顔が痛々しかった。
それと、自分の今の思いが重なって見えた。

今にも泣き出しそうな、そんな思いが溢れ出る。


「先輩?」
「……ぅしよ。」
「先……。」
「私、どうすればイイ?」


驚いたような、困ったような顔をして鳳君が私を見た。
その表情すら本当はちゃんと見えていない。
瞬きをするたびに、ボロボロと涙が零れる。

そんな自分が情けなくて。
夢にちゃんと向き合えない自分が情けなくて。
年下の鳳君に頼ってしまう自分が情けなくて。
鳳君を頼もしく感じてしまう事も情けなくて。
何も出来ない自分がまた、情けなくて。



涙は止まらない。



「どうしたんですか?」


訊ねる鳳君の声が泣きたいくらい優しかった。

優しくて優しくて、私を弱くさせる。

答えずに止まっていると手が伸びてきた。
目の前まで来た手が、そっと私の顔に触れた。


「俺でよかったら話してください。何も出来ないかもしれないけど、頼りないかもしれないけど、話してください。」


指が頬を伝う涙を拭ってくれる。
その手がまた優しくて、どうしようもなくなる。

全てを話して楽になりたくなる。


「諦めろって……。音楽関係の専門行くの、諦めろって。」


そこまで言って黙る。
鳳君の顔が見ていられなくなって俯いた。

私は高等部に行かずに音楽の勉強をしたい。
音楽だけを専門的に勉強したい。

だけど、親に反対されたらそれは出来ない。


「高等部に……進学する気は無いんですか?」
「出来れば、専門がいい。」
「そう、ですか。」


会話の途中に沈黙が入り込む。
そのたびに身体が、言葉が凍える。
手元にある温かいカップを両手で握り締めた。

鳳君の言葉が欲しい。
だけど、怖い。

そんな想いが頭の中を支配する。


「高等部、進んでみたらどうですか?」


あっさりと進学を勧める言葉をかけられた。
相変わらずの優しい声で、鳳君は厳しい事を言う。


「氷帝の高等部なら、芸能科もありますし、音楽専門の勉強も出来ると思いますよ。」


その言葉はもっともで、反抗する気にならなかった。

進学の場合、高等部の専門科がある。
だけど、それすら父親は否定したのだ。


「ダメって言われたなら説得すれば良いじゃないですか。一人じゃ心細いなら、協力します。俺、先輩が唄うの好きですから、ね。」


頬に添えられた両手に前を向かされる。
鳳君が鮮やかに微笑んでいた。


「ほら、前を向いてくださいよ。」


横にあったタオルで顔を拭かれる。
その手が優しくて、頼もしくて。


頼りたくなってしまった。










私の声は届きますか?

君以外の誰かや
君の心の奥深くに

届きますか?
聞こえますか?










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あとがき+++

更新遅くなって申し訳ございません。
もう、謝る事だらけで何から誤ればよいやら……。

さて久しぶりのチョタシリーズ(笑)ですが……。
どう転ぶんでしょうか、この話(苦笑)
何だかあまりにもヤキモキさせる話でごめんなさい。

実は書いている本人がじれったいんですから(笑)

あと片手で数えられる程度でキリをつけたいと思います。


by碧種


04.10.16