貴女が笑うと嬉しい
貴女と会えると嬉しい
貴女が泣いていると悲しい
貴女と会えないのは 淋しい
雑踏のなかで 2
夏休みが空けて暫くは行事が何もないけれど、すぐに文化祭の準備が始まる。
それが始まってしまうと、クラスの出し物の準備と部活で時間がほとんどなくなる毎日が続く。
「はあ……。」
先輩とはもう何週間も会っていない。
全く姿を見ていないわけじゃないけど、話してはいない。
それだけでこんなにも影響を受けるなんて、俺はどうしたんだろう。
テニスの練習にも身が入らず宍戸さんに怒られる。
クラスの準備にも集中できずヘマをやらかす。
「はぁ……。」
「鳳、手ぇ止まってるぞ。」
「あ、悪い。」
思わず溜め息を吐くと隣で一緒に作業をやっているクラスメイトに注意された。
軽く頭を小突かれて作業を再開する。
文化祭一週間前ともなると、もう準備も大詰めの段階に入っている。
今日のロングホームルームは全て準備に当てられていた。
あと数分もすれば俺はテニス部のほうに行かなくてはいけないから、本当は全力で準備に取り掛からなくちゃいけない。
そうしなくちゃいけないのは分かってるけど……。
「はぁ……。」
本日何度目か分からない溜め息。
今日一日に限った事じゃなくて、文化祭準備が始まった頃からずっとだ。
この原因も考えれば考えるほど先輩以外ではありえない。
「鳳。お前さ……。」
「ん?」
また同じクラスメイトに話しかけられる。
今度は作業をちゃんとやっていたから注意される言われはない。
無いはずだけど意味ありげな視線と沈黙を不思議に思ってそいつの顔を見る。
「お前、恋する乙女オーラ出してて気持ち悪い。」
「…………は?」
「何か最近、人が必死に準備をしてる横で上の空だし。その上大好きなテニスも上の空って噂だし。」
全く以って訳の分からない言葉を投げかけられた。
その余りの唐突さに沈黙している間に、目の前の人はペラペラと喋る。
冗談を言い合う程度の親しさでは有るけど、これは果たして冗談で済まされる範疇(はんちゅう)か?
いやいや、幾らなんでもこんな冗談はないだろう。
でも、だけど……。
「俺は恋なんかしてないよ。」
「イヤ、それは自覚ねぇだけだって。」
「けど相手も思いつかない。」
「ほら、いるじゃん。音楽室の君が。」
音楽室の君……?
その単語で思い浮かべる人はいる。
というより、はっきりと一人の人を連想させる言葉だ。
けれど……。
「俺……、そんな事話したっけ?」
俺は一言も言っていない。
テニス部の先輩方以外の誰にも先輩と会っている事は言っていない。
噂が広まれば先輩の身に危険が及ぶと先輩たちが言っているから、絶対に外には洩らせない。
だから、知らない筈……なのに。
不審に思いじっと見ていると、友達は笑った。
「お前知らないのか?毎日のように音楽室に行くお前を見て、いろんな奴が噂してるぜ?」
「……どんな風に?」
「音楽室の君にテニス部鳳が熱を上げてるんだろうってな。」
不覚だった。
先輩に会いたい余り、毎日毎日音楽室で会っていた。
ここ数週間は文化祭でそれどころじゃないけど、その前までは、だ。
今冷静になってみればそうだ。
俺の容姿じゃ隠れる事は出来ないし、レギュラーになってからはそれを抜きにしても目立っている。
そんな人間が毎日同じところに通いつめようものなら噂も立つ。
噂が立てば先輩に迷惑が掛かる。
最悪の事態に嵌りかけている事に気付き、思わず沈黙した。
下手な事をここで言ってしまえば更に状況が悪くなる。
そして不幸中の幸いか、どの程度の噂が流れているのか知る事が出来た。
「なぁ、鳳。音楽室の君の正体は誰なんだ?」
「え……。」
「誰に聞いても男か女かすら分かんねぇんだよ。」
まさか男じゃねぇだろうな、と笑いながら言う友人を前に分析する。
この発言からして、先輩だという事は全く広まっていないらしい。
という事は、今はそこまで心配する必要はないという事だろう。
それに先輩の存在が分かっていたら、きっと『音楽室の君』とは呼ばれない。
歌姫を連想させるような呼び名が与えられるはずだ。
俺さえ下手な事を言わなければ先輩を護ることが出来る。
そうすればこれからも先輩と一緒に居られる。
心の中で一人ホッとする。
「なあ、鳳。」
「な、何?」
「傍から見てて面白いけどな、一人百面相してるぞ。やっぱ女か……。」
「いや、音楽室行くのは誰かに熱をあげてるからじゃなくって、ピアノの楽譜を見るためだから。」
「……ま、そういうことにしといてやるよ。」
疑わしげな視線を受けながらも一応かわせた。
離れていく友人の後姿を眺めて一息つく。
「よし。」
気合を入れて作業を再開する。
その時、胸を過ぎった想いに俺は気付かない。
先輩に会える。
先輩に会えない。
その二つの出来事だけが俺の気持ちが揺れ動いているなんて……。
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あとがき+++
物語を書くときには"起承転結"が大切です。
んで、まだこの話の段階が"承"っていう笑えない話(笑)
要するにまだまだ続きますよ、と。
チョタ自覚編って事で『雑踏のなかで』はもう少し続きます。
by碧種
06.10.14