アユちゃんは幸せだったのでしょうか?

本当は幸せだったのでしょうか?










笑って   2










その場が静まり返る。
ただでさえ二人しか居ない部屋なのに、緊張感と沈黙が重くのしかかる。
相変わらず、歳の視線は痛いくらいに厳しい。

屯所にいるはずの隊士たちのほとんどは出払っていた。
おそらく情報収集をしているのだろう。
動くにはまだ準備が必要だ。


「ここに通報がある前に、アユちゃんは一度一人にされたんだ。」


そう。
私が駆けつけた時には既にボロボロだった。
人気がなくなった事を確認してから狭い部屋に入る。
アユちゃんは天井から縄で吊るされていた。

同じ空間に居るというのに、歳と目が合わない。
故意に目を逸らしている訳ではない。
ただ、互いに直視できないのだ。





後ろめたい事があるわけでもないのに?





だいぶ間が空いて、言葉を継ぐ。


「部屋に入るとすぐにアユちゃんと目が合った。直(すぐ)に逃げろって言われたよ。」


でもね……。
そう続ける。
いや、続けようとした。
次に出るはずの言葉が出ない。

左手でここ数年外す事がなかった簪(かんざし)をいじる。
なんて事はない飾りが障子の隙間から入ってくる僅かな明かりを反射している。
シャラシャラと澄んだ音がする。

一度息を吐いてから、気を取り直して言う。


「無理にそこに残ろうとしたんだ。そしたらさ…、叱られた。」


無理に笑ってみる。
でも、乾いたような笑い方しか出来なかった。


「『あんたまで死んでもたら、どうすんの。』って言われた。」


途切れ途切れにしか言えなかった。
別に泣いている訳ではないのに、それでも言葉はすらすら出てくれない。
不自然に詰まっていないだけマシなのか。


「やっぱりアユちゃんはアユちゃんだった。全然変わってなかった。」


そう言った時、歳と目が合った。
その視線から読み取れるものはなかった。
いろいろな感情が混ざりすぎていて、一つ一つを読み取る事は出来なかった。


「それで早く逃げて皆にあの時渡した言葉を伝えてくれって……。」


残っていた息を吐き、空気を深く吸い込む。
吸い込んだ空気は全て溜息となった。
懐から手紙を出す。

内容は少ないけど込められた想いは多い。


「六日前に弓をやってるアユちゃんに会ったんだ。」


数日前に思いを馳せる。

あの日……。
とても空が綺麗だった、あの日……。

偶然枡屋の前であゆちゃんに会ったんだ。
そして……。


『ウチに何かあったら、コレ皆に……。』


そう言って差し出されたのは……。
この言葉が走り書きされた数枚の紙。


「それでこの紙を渡されたんだ。」


目の前の人物に呼びかける。


「歳、貴方への言葉もある。」


無表情な眉が動いた。
それを確認してから紙を見て、一字一句違(たが)わずに言う。


「『土方さん。申し訳ございません。』」


握り締めた手が畳の上でガタガタと震えている。

この人の場合、目よりも手の方が素直に語る。
怒りに打ち震えている、といったところか……。

はスッと立ち上がり部屋を出ようとする。
しかし、歳の声に止められる。


「待て。」
「何でしょうか?」


振り返って歳を見ると、射抜くような目をしていた。
手は畳についたままだった。
縋(すが)る様に伸ばされる手はな かった。
それでもどこか必死に引き止めるようだった。


「これから、どうするんだ。」


その問い掛けは、戻ってこいと言っているようにも聞こえる。
しかし戻る事はないのだ。
戻る理由も戻れる理由もないのだから……。


「総ちゃんの所に行かないと。お笑いトリオには外で伝えたし、山南(さんなん)さんと近藤さんには今じゃなくても良いしね。」


答えている様で答えになっていない言葉。
話を逸らしたように思われるかもしれない。
実際ちゃんと答えた訳ではないのだ。

それでも歳は親切に答えてくれた。


「総司なら庭にでも居るんじゃねぇか?」
「……ありがとう。」


歳にしては簡単に許してくれた。
昔よりも彼の人柄が柔らかくなったのかもしれない。

それはそれは喜ばしい事だ。

総ちゃんが病気になってからは、近親の人間にも笑顔をなかなか見せなくなったのだ。
表情がほとんど変わらなくても、心が動くのならば良い事だ。










庭に出て歩き回る。
そう時間が経たないうちに、白い着物の細い姿が見つかった。


「総ちゃん。」


昔と同じ呼び名で呼ぶと総司は直に振り返った。
一瞬だけ顔を顰(しか)めて、次に驚いた。


……さん?」


総ちゃんは腕に子豚を抱いていた。
その子豚は笑える事に、歳にそっくりな目つきだった。


「久しぶり。」


あからさまに驚いた顔をしている。

それは当然の事だろう。
突然私なんかが帰ってきたんだ。
何の用だか勘ぐるのは仕方がない事。

今度は歳の時みたいに焦らしたりしない。


「アユちゃんの言葉を伝えにきたよ。」
「え?」


息を吸い込んで静かに吐く。
手紙に書いてある文字を鮮明に思い出して言う。


「『烝の事、頼んます。』」
「歩さん……。」


総ちゃんは目頭を押さえた。

アユちゃんの人柄を表しているような言葉だった。
心配も何もしてない振りをしている。
でも本当は、アユちゃんは烝の事がとても大切なんだ。

相当堪えた筈(はず)だ。

私は別れの挨拶を言って、屯所の出口に向かおうと背を向ける。
すると背後で総ちゃんが顔を上げた。


「烝君に会わないんですか?」


予想外の言葉に振り返る。
それでも表情は崩さずに、何も無いかのように返す。


「良いのよ。」
「本当に?」
「烝は一人でもやっていける強さを持っている。今は本来の姿を失っていても、鉄君の力を借りてすぐにもっと強くなれる。」


強い視線を総ちゃんに返す。

コレは偽りではない。
絶対に烝は負けたりしない。

総ちゃんと視線があう。
目の前にある女の子のような顔が、ふっと笑いを浮かべた。


「変わっていませんね。」


私が変わっていない?
それはどういうことだろうか……。
こんなにも考え方は歪んでしまったのに……。

思わず視線を投げかける。
総ちゃんは雲の様な笑顔を浮かべるだけだった。


「変わっていない?」
「やり方が、ですよ。」


よく分からない言葉に私は戸惑うばかりだった。
視線を泳がせていると、総ちゃんが提案してきた。


さん。いい加減、浪人の格好は止めませんか?」
「何故?」
「だって……。さんを知らない人は、密偵かなんかと勘違いしちゃいますよ?」


心の中で小さく舌打ちをする。

屯所の中で女物の着物があるのは烝の部屋しかない。
行けば本人に遭遇しかねないし、逢わなかったとしても変化に気付くだろう。
その事は結局、私が来た事を彼が知らせてしまうという事だ。


総ちゃんに部屋の位置を聞き、私は一か八かの賭けに出た。










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あとがき+++

何とか間に合った……。
本当にギリギリまで展開をどうしようか考えていました。

ようやく烝君の名前だけ出てきました(笑)
次で烝君に会ってしまうのか?!
お楽しみに〜。

あー。
どこら辺が恋かも知れないのだろうか……。


by碧種