愛しかった
誰よりも一番君を想っていた

だからこそ



苦しかった










Beautiful dreamer    8










腕で受け止めた彼女が、僕の名前を呼んだ。
瞳に涙を浮かべて苦しげに、それでもはっきりと僕の名前を呼んだ。

まさか……。
は記憶を取り戻してしまった?


?」
「……ごめん、なさい。」


涙に彩られたその顔は、夢ではなく確実に現実を見ていた。
しっかりと僕の顔を見据えてもう一度苦しげに、ごめんなさいと言った。
不意に腕が伸びてきて僕の背中に回される。

何が起きているのか分からない僕は、只管(ひたすら)彼女の言葉を待った。


「君は私の記憶を消してなんかいない。」





――――彼女は何を言っている?





受け取った言葉の意味を捉えられずに迷う。

最後の夜。

確かに彼女は暗示に掛かっていた。
心の記憶を消す為の術に嵌っていた筈だ。
それなのに何故か、今目の前に居る彼女は全てを思い出しているようだった。


「ごめんなさい、。私は自分の為に、無意識で記憶に鍵を掛けてた。」
「な……にを……。」
「君が私の為に記憶を消そうとしてくれてるんだって分かってた。なのに私は君を恨めなかった。忘れたくなんてなかった。」


唖然としている僕の首に、の細い腕が巻きついてくる。
今度は耳元で謝罪の言葉が囁かれる。

とてもじゃないけれど僕一人では状況を把握できない。
背後に立つルックに助けを求めて振り返った。


「僕は言ったはずだ。彼女が心から同意しなかった場合、記憶は消す事が出来ないと。」
「でも、の記憶は……。」
「自ら記憶を飛ばした。そうだろう?」


ルックは僕では無くに問いかけた。
僕はどうする事もで傷に彼女の言葉を待つ。
首に回された腕は、ルックの言葉に動揺することも無くそのままにされている。

彼女の体温を感じながら、けれど彼女の体を抱き締めることは出来ない。


「そう。の所為じゃない。」
「にも拘らず、間抜けなコイツは自分が忘れさせたと錯覚した。」
「……酷い言われようだな。」


ルックの台詞に少し傷ついたふりをして動揺を誤魔化す。
そして刑の宣告を待つ囚人の様に彼女の言葉を待った。


「私は……。私は、私自身の為に貴方のことを忘れた。今度もまた、自分の為に思い出した。貴方を手放したくなかった。」


言葉をそのまま表すように、腕に込められた力が強くなる。
それに答えるために抱き締めようと思ったけれど、体が金縛りになったかのように動かない。

ちらりとルックが僕に視線をやった。
そこから何かを読み取る余裕が僕には無く、黙って様子を見るしかなかった。


が親兄弟の敵だったとしても、か?」


その言葉に僕の体が不自然に揺れたのか、それとも彼女の腕に不自然に力が入ったのか。
とにかく明らかな動揺がお互いの体に伝わった。


その事は聞きたく無い。
聞いてしまえば何かが終わる。
何が終わるか分からないけれど、何かが必ず終わる。

何かが終わり何かが始まるのか、それとも、終焉のみか。



「それでも……嫌いになれなかった。」
「何故?」
「それ以上に好きになっていたから……。」
「だから?」
「……だから忘れたくなかったし、後悔なんてしてない!」


の切ない叫びが夜空に響く。

そこで初めて気付いた彼女の本心。
あの時には聞くことの出来なかった彼女の意思。

それは僕の予想とは正反対の方向にあったのだ。
だから僕は彼女の記憶を消す事が出来ず、彼女は自らを守る行動に出た。

その事実に呆然としていると、ルックがこれ見よがしに溜め息を吐く。
それから半ば睨みつけるように僕のほうを見た。


「だ・か・ら、僕は言ったんだ。」
「……すみません。」


怒りを通り越して呆れた目で見られ、思わず謝ってしまった。


「僕の忠告を聞いていればこんなややこしい事にもならなかった訳だよね?」
「……申し訳ございません。」


言い返せる部分がどこをとっても無い。
言い返せない場合は、ひたすら平謝りをするしかない。

延々と続くかと思われた攻撃は、溜め息と共に早々と止んだ。


「後は二人の問題だから勝手にやってよね。僕はもう帰るから。」


付き合ってらんないねと言うが早いか、ルックはさっさと姿を消してしまった。
その引き際の良さに呆然としている僕からの身体が少し離れる。
彼女は腕を首に回したまま、僕を責める様な強い視線で睨みつけていた。


「私は一度も忘れたいなんて言ってない。」
「うん。」
「それを勝手にが解釈したんだよ?」
「そうだね。」


責任を取れ、と言わんがばかりの態度と言葉に苦笑する。
態度は強気だけど顔は泣き顔だった。

全てが解った事で、ようやく素直に手を伸ばす事が出来る。


「ごめんね。けど、もう手離したりしないから。」
「うん。」
「嫌だって言っても放さない。」
「私だって放さない。」


僕らはお互いの身体を護り合う様に抱き締めた。
それから手を固く繋いでグレミオの待つ家まで帰った。





今、この瞬間から僕らの未来が始まる

その先に何が待っているか分からない
そして必ず別れが訪れると知っているけれど



けれど僕はの手をとった










next





あとがき+++

えっと、結局DEEPにする必要なかったですね(苦笑)
もうすでにDEEP脱出はしていますが……。

最近ハッピーエンド志向になりつつあるらしいです。


あと1〜2ページで終わりますよ、と。


by碧種


06.08.20