思い出せない
思い出したい
違う
忘れてなんていないよ
Beautiful dreamer 4
アレが何時(いつ)だったか、正確な日にちは覚えていない。
ただ、グレミオと二人で旅を始めてからそう経っていなかったと思う。
唐突だった。
「ねえ、そこのお兄さん。」
まさかと思いながらも振り返ると、見たことのない女の子と目があった。
女の子、というには一寸(ちょっと)大人びているが、女性と言うには幼い。
少女と言う言葉もあまり相応しくない。
僕とそれほど年は違わないであろう女の子。
「そうそう。赤い服を着たお兄さん。」
「僕……ですか?」
「そう、君。」
まるで下手なナンパ師のような軽い口調で呼び止められた。
その手には赤いリンゴを持ち、その笑顔はリンゴの赤よりも鮮やかだった。
「リンゴ、買わない?安くて甘くて美味しいよ。」
彼女の押しの強さと鮮やかな笑顔に負けて、思わずリンゴを買ってしまった。
買いたてのリンゴを齧(かじ)ると、また声を掛けてくる。
「ね。美味しいでしょ?」
「そうですね。」
鮮やかな笑顔を持つ果物売りの少女。
宝石のように色とりどりの果物に囲まれながらも、その子から出る色は褪せる事がない。
むしろ際立ち、果物の存在もくすむ程の存在感を持った女の子。
それがだった。
始めは、その無邪気なまでの笑顔にただ惹かれた。
自然とと逢うようになり、自然と好意を抱くようになっていた。
彼女の事を知れば知るほど好きになっていった。
この僕の心情の変化は極自然な事だった。
極自然で、でもそれは許される事ではないと悟った。
彼女は解放軍に両親と実の兄を殺された。
その事で彼女は、酷く解放軍や新政府の事を憎んでいたのだ。
だから……。
そんな彼女に解放軍リーダーであった僕は、名前を告げる事さえ出来なかった。
嫌われる事が怖くて……。
彼女が離れていく事が怖くて……。
ただ、怖くて。
「何で名前を教えてくれないの?」
そんな簡単な問いにすら、曖昧な笑顔で誤魔化す事しか出来なかった。
あの月夜。
月は新円で、柔らかく輝いていた。
「。」
「あ、来てくれたんだ。」
「君の頼みだから。」
月見をしたいと言う彼女の要望に応えて、町の近くの草原に出たあの日。
確か月が眩しいくらい全てを照らしていたあの夜。
あの日が無ければ……。
否、あの日の夜に彼女の望みをかなえなければ……。
もしかしたら今も、彼女の側で笑っていられたのかもしれない。
「最近忙しいの?」
「まあ、そこそこ。」
「でも私、君が仕事しているトコは見たことないけど。」
くすくすと笑いながら、ちょっとだけ寂しそうな仕草をする。
その仕草にも心を動かしてはいけない。
甘えるような声にも、寂しがるような声にも、心を動かすことは許されなかった。
苦笑いを浮かべながら、右手を彼女の前に差し出して見せる。
「これが証拠、にはならないかな?」
僕の両手は棍の練習で肉刺(まめ)だらけだ。
きっと、判る人が見れば普通の仕事で出来る肉刺とは違うと判るだろう。
でも彼女には分からない。
その時僕は、そう高をくくっていた。
しかし彼女の表情は見る見る険しくなっていく。
「どうかした?」
「手、肉刺だらけだね。」
そう言って僕の手を取ると、哀しそうな顔をする。
目を閉じて僕の手を、確かめるように触る。
「兄さんの手と、同じだ。」
「え?」
弾かれるように目を開けたは、じっと僕の顔を見た。
すぐに逆の手を取られて、右手と同じ様にじっくりと触られる。
「この肉刺は戦士の勲章なんだって、兄さんが言ってた。」
「似てるだけじゃないかな?」
「私が間違えるはず無い。」
余りにも自信たっぷりに言い切る彼女。
疚(やま)しい所のあった僕にはそれをすぐに否定する事は出来なかった。
本当の事を言っても解決するはずがないことは分かっていた。
すぐにでも用心棒の仕事をしているとか言い訳をすればよかった。
それなのに、何も言えなかった。
「名前を教えてくれないのと、関係あるのね?」
「それは……。」
「あるのね?」
否とは言わせない彼女の態度に負けている。
いっそ、言ってしまえば楽になるんでしょうか?
言ってしまっても僕らの関係は変わらず続きますか?
神にも祈るような想いで問いかけたところで、答えは返ってはこない。
居もしない、信じてもいない神に祈っているのだから当然の事だ。
祈ることを諦めて、現実に手を伸ばす。
の身体を腕の中に収めて、その存在を感じる。
「全てを聞いたら、君は僕から離れていくから言いたくないんだ。」
「偽名でも何でも教えとけば良かった、って後悔してる?」
「偽りの名で呼ばれたり名乗ったりすることは、僕の存在自体をゆがめてしまう。だから……。」
「だったら!!」
だから君に伝えるなら本当の名が良かったんだ、という言葉はの声に掻き消された。
必死に叫んだ彼女は一瞬だけ言葉を飲み込んで、息を整えてから小さな声で呟いた。
「だったら、本当の名前を教えてよ。」
そんな真剣な目で見詰められてしまったら、僕はどうすればいいのだろう。
逆らうことは敵わないし、ましてもう嘘を吐きたくはないと思っているのだから……。
「後悔するよ。」
「知らない事で悩むより、知って後悔する方がいいよ。」
迷いのない瞳を見て迷いを捨てる。
真っ直ぐ見詰めると、迷いはないが期待と不安に彩られた瞳が待っていた。
「僕の名前は……。」
「うん。」
「。」
名乗った途端、彼女は目を見開いた。
そして沈黙が流れる。
それは笑っていられないほどの重苦しい沈黙だった。
更に追い討ちをかけるように目を逸らされてしまった。
逸らされてしまった瞳は後悔以外の何も映していなかった。
僕だけでも目を逸らすまいと、必死でその瞳を見つめ続けた。
何故だろう
それでも僕は
まだ後悔してはいなかったんだ
next
あとがき+++
過去編は次で終了でしょうか?
少なくともあと1ページくらいは使うかなぁと。
ここから先が問題な訳で(笑)
どういうオチするかとか
どういう役割を与えるかとか
ま、いろいろ。
さて、次行きますか。
by碧種
06.05.03