想像していたより暖かい手が首に当てられる
冷たい水がその手の温かさを際立てる
ああ
このまま……
スコール −I'll get away from you.−
普段飲まないような強い酒で喉を潤す。
この琥珀色の液体によって満たされたことは、一度たりともない。
「おい。」
グラスを掲げていると無粋な奴が来た。
振り返るとそこには見覚えのある男がいる。
ここの酒場には訳有りの野郎ぐらいしかいない。
この声を掛けてきた体格がいい男も、ある意味訳有りだ。
「久しぶりだね、ルカ。」
庶民が呼び捨てしていいような奴ではない。
こいつの名はルカ・ブライト。
巷(ちまた)では"狂皇子"とも呼ばれている。
「こんな所に来るなんて、随分と余裕じゃない。」
「何のことだ?」
口の端を吊り上げるような独特の笑い方。
私が知っている中でこんな笑い方をするのは、こいつくらいだ。
妙に色っぽい。
昨日まで戦争やりに行ってたんだ。
今日帰ってきたばかりだというのに、こんな所にいるなんて余裕じゃない。
そういう風に考えるのは間違ってるかしら?
口元に手を当てて喉の奥で小さく笑う。
そこから流れるような動作で私の隣に座る。
腐っても貴族といった所か……。
脇にちらりと見える護身用と思われる剣。
「こいつと同じものを。」
よく響く低い声で注文をする。
いつもと同じやり取りで、マスターの方もよく分かっている。
すぐに私のものと同じグラスに、同じ琥珀色の液体が注がれる。
一口だけ口に含んでこっちをチラリと見る。
何か言いたげな目線をしばらく私に送ってから口を開く。
「いつもと違うな。」
「何が?」
――――酒の種類が。
そう呟いてまた酒を煽(あお)る。
一度口からグラスを離して下唇を舐める。
そそられますねぇ。
流石貴族、とでも言うべきだろうか?
私が普段より少し高い酒を飲んでいても、こいつはどんなものか知っている。
そして何より……。
私がこういう酒を飲む理由も知っている。
普段愛飲しているのは安い甘い酒。
甘くて甘くて痛いもの。
今飲んでいるのは高い苦いお酒。
苦くて苦くて辛いもの。
そして……。
「そろそろやめとけ。」
6杯目を注文しようとすると制止の声が入る。
マスターに向けて出そうとしたグラスの上に、大きくてゴツイ手が被(かぶ)せられる。
『もう一杯。』
その言葉も一緒に覆い隠されたようだ。
「なんでぇ?」
酒が廻って呂律が回っていない。
思考回路はちゃんと働いているのに、体だけが酔ってしまったみたいだ。
右手に持っていたグラスをカウンターに置く。
肘を付いている左手に頭を乗せる。
「それ以上飲む必要はないだろ。」
ルカはそう言うと私の腕を取った。
お代を二人分払って店から出る。
腕を引っ張られたまま夜の道を歩く。
「どこ行くの?」
無言で黙々と歩いていくルカに声を掛ける。
歩みを止めて振り返ったルカは、人を小ばかにしたような目をしていた。
「帰る気ねぇのか?」
いつもそうだ。
勝手に人が飲むのを止めて、勝手に人の家まで送っていく。
そこで何をするでもなく帰ってしまう。
再び歩き始めた。
さっきよりも近くまで引き寄せられる。
半ば寄りかかるような体制になっている。
それでもルカは歩き続ける。
歩いている間はずっと無言。
一言も喋らない。
それが暗黙の了解みたいなものだった。
一歩一歩家に近付いていく。
足取りは遅くなることも速くなることもない。
ただ歩くだけ。
「着いたぞ。」
家の扉の手前で一度止まる。
意識に靄(もや)が掛かりつつあったけど、それを振り払って目を開ける。
視界に入ったのは……。
『狂皇子ルカ・ブライトを仕留めろ。』
―――嫌だ!!
自由な方の手を得物に伸ばす。
動く全ての物がスローモーションに見えた。
1コマずつ動いていく。
私の手が少しずつルカの首に近付く。
それを見てヤツの表情が変わる。
私を支えていた手が腕を引っ張って受け流そうとする。
反対側の手が得物を持った手を捕らえる。
「どういうつもりだ、。」
「っ!!」
相手を射抜くような目が向けられる。
獣のような鋭い視線。
それだけで人を殺せてしまいそうな気がする。
でもそれは、狂気に満ちたモノでもなければ、血に魅せられたモノでもなかった。
今ので殺(や)れる自信はなかった。
実際に殺(や)ってしまう気もなかった。
ただ身体が勝手に動いてしまった。
―――酒に溺れるつもりは無かったのになぁ。
「答えろ。」
普段よりも数段低い声が鼓膜を震わせる。
その声は怒りを抑えている様にも聞こえた。
手首を掴んでいる力が強くなる。
冷たい物が背筋を通る。
そして、冷たい雨が降り始める。
全ての音を掻き消すような大粒の雨。
「依頼よ。」
雨がいくら掻き消そうとしても、私の声は相手に届いてしまう。
思った以上に抑揚が無い声が出て、自分でも驚く。
無理に笑おうとしたから、私はきっと酷い顔をしているのだろう。
私の職業はアサシン…所謂(いわゆる)殺し屋だ。
依頼があったのは本当の事だ。
だけど……。
「それだけか?」
「ええ。そうよ。」
淡々と答えられている自分が怖い。
君を殺したいわけなんてないじゃないか!!
大嘘もいい所だというのに、そんな風には到底見えないだろう。
あっさり答えた私を見て、ルカは眉根を更に寄せた。
「これがどういう事か解ってるのか?」
「もちろん。」
任務失敗。
それが意味するのはただ一つだった。
「殺されても文句なんて言えない。私の落ち度だ。」
私の口は嘘が達者だ。
相手を裏切り傷つけ突き放す言葉を、次から次へと吐く。
それを自覚していながらも止められないのは何故(なにゆえ)か……。
愛故などとは言えはしない。
「そうか……。」
ルカは、落胆したかのような声で言う。
雨で黒髪が寝ている。
それは瞳の表情すらも隠してしまった。
大雨に濡れた手が手首から離れた。
その手がゆっくりと首に近付いてくる。
「残念だ。」
抑揚のない声が微かに聞こえた。
それと同時に指先が首に触れた。
想像していたより暖かい手が首に当てられる。
冷たい雨がその手の温かさを際立てる。
ああ。
このまま……。
このまま死んでも良いかもしれない。
そう思って目を閉じる。
首を絞める力が少しずつ加えられていく。
意識と視界が翳(かす)み始めた頃。
ふと呼吸が楽になる。
眼前にあったのは、愁(うれ)いを帯びた双眸(そうぼう)だった。
「な、ん……で?」
私の問い掛けに答えはなかった。
ルカは捨てられた子犬のような表情をしていた。
指先が首を滑って、名残(なごり)惜しそうに離れる。
暖かかった温度が離れて、雨に晒(さら)された首から体温が奪われる。
「ル、カ……。」
掠(かす)れた声で呼びかける。
意外と細身な後姿をルカは私に向けた。
一見無防備なそれは私に、殺してみろと言っているようだった。
「次は殺す。」
雨とは決して被る事のない音域で言う。
私がその言葉を聞いて理解する前に、ルカは歩き始めた。
待って、と言えなかった。
違うんだ、とも言えなかった。
思っていた事さえ何一つ言えなかった。
数週間後、町は騒がしくなった。
世間は一つの話題で持切りになった。
『狂皇子ルカ、都市同盟軍主に敗れる。』
衝撃的だった。
夢かとさえ思った。
でもそれは現実で、夢でも幻でもなかった。
とても……悔しかった。
「嘘……だ。」
「それが本当らしいんだよ。」
そして、哀(かな)しかった。
あの日に言えなかった言葉たちが溢れてしまいそうだった。
何一つ、伝える事が出来なかった……。
身動き一つ出来なかった、あの日。
『依頼よ。』
「違う!本当はその話は蹴ったんだ。」
『それだけか?』
「まさか。そんな訳ない。」
『ええ。そうよ』
「嘘だ。殺すくらいなら殺されたいと思ったんだ。」
『そうか……。残念だ。』
「違うんだ。」
『次は殺す。』
「本当は……。」
今更だ。
今更涙を流しても、伝えたかった事を言っても、何も変わらない……。
変わりはしないんだ。
何も変わりはしないんだ……。
「愛している……。」
ruka side
あとがき+++
初ルカ様ぁ〜(笑)
彼は嫌いではないです。
狂皇子と言われ、殺戮(さつりく)を繰り返してなお非情に成りきれずに愛情を求めてやまないのですから……(美化しすぎでしょうか?)
他人から与えられる愛情に飢えずに生きてきていれば、また違ったのでしょう。
私が利用しているドリーム変換ツール様の意見交換所で、とても気になるスレッドがありました。
『悲恋は夢小説か否か。』
私は意見を投稿していないのですが、いろいろな人の意見を見ていて勉強になりました。
こんな考えを持っている人もいるんだなぁ、こんな事もあるんだぁ、などなど。
書き手が気を付けるべき事は沢山ありそうです。
by碧種
04.02.16