それは……。
暑い夏の日のことだった……。










出会い 1   依頼人










燦燦と照りつける太陽の下、新宿の裏道を息を上げて走る小さな姿があった。
青いキャップを目深に被ったその人は、とても恐ろしいものから逃げるかのように走っていく。
そして、狭い路地の影に身を隠すと、大切なかばんを抱きかかえ、じっと息を殺して瞳を閉じた。


「っ……、はっ、っぅ……。」
「っ、どこに行った。」
「逃げられた、わね。」
「っ、……ふっ……。」



全力疾走の代償で上がった息を必死に押し殺す。
路地の少し向こうでは、数人が集まって、その人を探しているが、今日だけは見つかるつもりはない。
去っていく足音を聞きながら、右手首にある時計を見た。


(くそっ、遅刻だ。)


額から滴り落ちる汗を拭って、舌打ちしたい気持ちを静める。

今日という日はついていない。

会いたい人物に会いに行くだけのことに、これだけの時間と労力を取られた。
相手は気づいているか分からないが、まだ会うつもりのない奴らに会ってしまった。
それに加えて、今はまだ後回しにしておきたい諸々の問題にも追い回される。



「はぁ。行くか。」



抑えきれないため息を吐き、気合を入れなおして立ち上がる。
遅刻を取り戻すことはできないけれど、急ぎ足で歩き始めた。

その人が向かう先は、彼らが待っている『あの喫茶店』。
この先にある物語の、ほんの少し前のお話。










さて、ここは、皆さんお馴染みのHONKY TONK。

IL奪還から数日後、蛮の腕も治っていないというのにヘヴンは仕事を持ってきた。
どうしても今日、明日中にやって欲しい仕事をわざわざ、Get Backersご指名で依頼してきた酔狂な人物がいるという。
奇特な依頼人への興味と今日明日の生活もままならない経済状況が手伝って、Get Backersの二人はひとまず依頼人と会ってみることにしたのだった。

そして今、奥のボックス席には、仲介屋のヘヴン、GetBackersの蛮と銀次の3人が座っている。
ヘヴンは外と時計を交互に見ながら不安そうにし、蛮はあからさまにイライラしていたし、銀次は相変わらずヘタれている。
この状況がかれこれ10分以上は続いている中で、唐突に蛮が立ち上がった。


「蛮ちゃん?」


銀次が、どうしたの?と聞くと蛮は突然叫んだ。


「あーー!!いったい何なんだよ!!遅すぎねーか!?」


蛮の言うとおり、依頼人が遅刻しているのだった。
まったく来ない、ぜんぜん来ない、本当に来ない。
蛮の苛立ちももっともだが、ヘヴンは宥(なだ)める様に言った。


「仕方ないでしょ。忙しい人たちなんだから。」
「そうだよ蛮ちゃん。無駄に騒がないで、静かに待とうよぉ。」


余計お腹が減るだけだよう、と銀次が見当はずれなフォローを入れるのはいつもどおりの光景だ。


怪我の治療費、その他諸々の経費がかさみ、すずめの涙ほどしか手持ちがない二人は、相変わらずの極貧生活を送っていた。
もちろん、蛮の怪我も治りきってはいないのだから、食事もまともに食べていなかったようだ。
タレている銀次に埒(らち)があかないと思った蛮は、波児の前を通り入り口に向かう。


「蛮くん!ちょっとどこ行くのよ!」
「外に出るだっ…!!」


外に出ようとしてドアに手をかけると、突然外側から開かれ外から人が入ってきた。
その人は蛮にぶつかり、二人そろって床に倒れこんだ。


「「うわ!」」


入ってきた人物はすぐに立ち上がり、少しずれた帽子をもう一度被り直し、店内に駆け込んだ。
来訪者を迎え入れたと同時に、店の扉がカランと鳴って閉まった。


「ごめん!ちょっと匿(かくま)って!!」
「!?」


いったい何なんだと言いたいのに、言う暇も与えられず床に座り込んだままの蛮。
その横に立っているその人物は、青のキャップを目深に被り顔はよく見えないが、キャップで隠し切れない髪の毛は銀細工のようなシルバーだった。
服装は、大きなロゴの入ったゆったりサイズの黒いTシャツにストレートのジーンズ、そして肩には重そうなカバンを斜めにかけていた。
見た目は、蛮よりも小柄で、テニスバッグをもっていたら似合いそうなスポーツ少年のような印象だ。
はっきり言って怪しいことこの上ない。
蛮が探るような眼差しを向けていると、外からパンプスで走る足音と女性の声が聞こえてきた。


「うわっ。来た。」


と言うと、その人はカウンターの後ろに隠れた。
その動きとほぼ同時に、数人の女性たちがT.H.に入ってきた。


「あの、すみません。」
「はい、何でしょうか。」


と夏実が言うと女性たちは「銀髪で青い目の人がここに来ませんでしたか。」と訊いた。
おそらく、今隠れている人の事だろう。


「いいえ来ていませんが。」
「そうですか……失礼しました。」


女性たちは、どこに言ったのかしら、などと呟きながら去っていった。
カランと入り口の扉が鳴ると、隠れていた人が出てきた。


「本当にありがとうございました。あの人たち結構しつこかったんでどうしようかと思ってたんです。」


ペコリと頭を下げて感謝を述べると、夏実と波児が謙遜して答えた。


「いえ、そんな大した事してませんし。ね、マスター。」
「そうだよ。気にしなくていいから、何か飲むかい?」


すっかり蚊帳の外になっていた蛮は、さっきまでの苛立ちを解消すべく、席に戻りタバコを吸おうとした。
それをヘヴンが手で制する。


「蛮ちゃん!依頼人さんはタバコ嫌いだから、依頼取り消しになるかもしれないわよ。」
「ちっ。」


その後ろでは、黒Tシャツの人物がトーストとコーヒー(ブラック)とミルクティーを頼んでいた。
ドリンクを二つ注文する様子に、夏実はクエスチョンマークを頭の上に浮かべ尋ねた。


「え、お飲み物二つも頼むんですか?」
「人を待っているんだ。その人猫舌でさ。」


まあ、人のこと言えないんだけどね。と苦笑してその人は新聞を読みだし、夏実はいそいそとカウンターに戻った。

暫らくすると、黙々と頼んだものを食べるその人物と、イライラして手が付けられなくなってる蛮と、タレて何処かに意識が飛びかけてる銀次と、退屈そうなヘヴンの姿が不協和音を奏で始めていた。


その空気を破るように、ドアを壊しそうな勢いで一人の少女が入ってきた。


「遅くなりました!私が依頼人のっ…キャアアア!!!」

ずざあああああああ!!


新たに入ってきた人物は、突然、ものすごい勢いで、何もないところでこけた。
ブーツカットのグレージーンズに春色のチュニックを着ているその人が地べたに這いつくばっている。
あまりに突然の出来事に誰一人動かない中、黒Tシャツの人物がすくっと立ち上がり、新しい登場人物を助け起こした。
そしてため息をつき、入ってきた人に話しかけた。


「大丈夫か?」
「な、なんとか。」


などと呑気(のんき)な会話をする二人の背後に、殺意に満ちた視線を向ける蛮の姿があった。


「依頼人つーのはテメーか?」


いつもよりワントーン低い声で盛大にこけた少女に話しかけると、初めて存在に気づいたとばかりに少女はニッコリと笑顔を浮かべた。
長時間待たされたのと、タバコを止められたのでストレスが溜まりまくっている蛮からは、殺気が漏れているにもかかわらず、少女のは笑顔は崩れない。


「そうですよ。はじめまして、Get Backersさん。 、17歳です。」


という少女は、こけた際に乱れた服装を正しながら、礼儀正しく一礼した。

肩までの長さのまっすぐな黒い髪に、丸く大きな黒い目が印象的だ。
ごく自然に丁寧なお辞儀をしたことも相まって、生粋の日本人というイメージを与える。
おろしている髪は人形なんじゃないかと思うくらい真っ直ぐで、さらさらしていた。
年相応以上の丁寧な対応に反して、年齢よりも幼くに見えるのは少し大きめな目の所為だろう。
正直、世間一般の基準で考えて、可愛い部類に入るだろう。

自己紹介様子を後ろで見ていた、黒Tシャツの人がの横に並んで青い帽子を取った。

その帽子の中からは、肩よりも長いゆるくウェーブした銀髪ポニーテールが出てきた。
シルバーの髪の隙間から覗く瞳の色は澄んだ青で、とは正反対の日本人離れした容貌だ。
切れ長の奥二重にすっと通った鼻筋は、少し幼さを残しながらも大人っぽい雰囲気を出している。
横並びの二人を比較すると、こちらはグローバルな基準で美人に分類されるだろう。

わずかに蛮はその銀髪に目を奪われたが、その人物が発した言葉にその思考は吹き飛ばされた。



「同じく依頼人の 、17歳。よろしく、お二人さん。」

















一瞬Get Backersの二人の動きが凍った。



「依頼人が、二人?!」

「ヘヴンさん?」



聞いてないぞ
「そんな事                   !?」
聞いてないよ




困惑する二人に対して他の人間は、最初からこの展開を知っていたかのように落ち着き払っていた。
はさっきまで座っていた席でまたコーヒーを飲みだし、ミルクティーをに渡した。
は貰ったミルクティーを飲みだして、一言ヘヴンに言う。


「仲介屋さん、ちゃんと説明しておいてくださいよ。こっちも困っちゃいますし。」


あははは。と笑いながらとヘヴンは会話をしていた。


「それでは、本題に入りましょうか。」


にっこりと笑いながらは全員に宣言した。
五人は同じボックス席に座り、が仕事内容の簡単な説明をした。


「今回の依頼は、の…とはのことだ。の姪のちゃんを奪還して欲しい。」
「何でまた姪なんだ。だいたい人の奪還なんて…。」


やんなきゃなんねーんだ。と言おうとすると、途中でに遮られた。


「つい先日、私の姉の夫。要するに義兄が亡くなりました。義兄が残したのは多大な遺産とちゃんでした。」


よくあるパターンだな。と蛮は思っていたが、それを言える雰囲気ではなかった。

銀次は次々と登場する人物に、だんだん話についていけなくなっている。


「でも、姉もすでに亡くなっていて、義兄の遺言にはちゃんの後見人に私を推薦するとかかれていて…。そのことで裁判になったんです。」
「最初は…いや、ずっと私たち優勢で裁判は進んでた。それどころか、判決だってが後見人ということになっていたんだが…。」


そこまで話が進んでから依頼人たちは突然沈黙してしまった。
苦虫を噛み潰したような顔のの様子を見て、蛮が先を促す。


「それで、どうなったんだ?」


蛮の言葉を聴いたは、怒りをぶちまけるように言った。


「弁護士がやつらに買収された。…もしかしたら最初からそうだったのかもしれない。」
「結局裁判は判決前に訴えを下げられてしまいました。」


やつらというのは名前も知らないような遺産目当ての親戚たちのことだ。
は悔しそうな声で搾り出すように言った。


ちゃんやお姉ちゃんたちのことも、知らないあんな奴らに!!」


必死な二人の様子を、蛮は冷めた目で見ていた。


「へぇ。テメーらみてぇな女子高生が引き取って、ガキの面倒とか見れるのか。だいたいあんたらが遺産目当てかも知れねぇだろ。」
「蛮ちゃん、それは言いすぎだよ。」


蛮の意見は世間一般の目線からすればもっともだ。
ごく普通に生活している女子高生が、子供を引き取って生活費やら、教育費やらの面倒が見られるはずがない。
だいたい自分たちも誰かに養われているのに、子供を引き取るとか何とかできるわけがない。

蛮の言葉を聞いたが、あれっと言った。


「美堂君、聞いてないのか?私たちは自活してるんだぞ。」
「ああ、そういえば蛮ちゃんと銀ちゃんに言うの忘れてたわ。」


まだ言い忘れがあるのか、ヘヴン(さん)。と蛮たちは呆れを通り越して尊敬してしまいそうな感じだ。


「彼女たちは二人で暮らしていて、ちゃんはプロの小説家、ちゃんはその挿絵を描いて収入を得ているの。これが結構人気があるのよ。」
「何ぃ!!?」
「ちなみに、さっき追っかけてきていた女性たちは、私のファンだよ。」


はっきり言って、蛮の発言は彼女たちに向けるには相応しくなかった。
仕事もしているし、扶養されているわけでもない。

さらに追い討ちをかけるようにが言った。


「財産目当てもありえませんね。ちゃんの相続する財産よりも、私たちの貯金のほうがはるかに上ですし。」


ほら。といって二人はそれぞれの預金通帳を見せた。


「蛮ちゃぁん、見たこともないくらいゼロが並んでるよ。」
「………。ありえねぇ。」


蛮は目を疑った。の通帳は、サラリーマンが一生働いても稼げないほどの額が記載されていた。
普通に二人が働いているにしても、そんな額は手に入るはずがない。


ってまさか、10年位前に業界から消えた一代で多額の財を成したっていう……。」
「ご明察!私はその孫だし、ほかの兄弟は家を出ていたから、その財産をほとんど貰ったんですよ。」
「じゃあ、は……」
ちゃんの場合は、母方が海外の貴族につながる血筋だったみたい。」
「信託なんちゃらで、いつの間にか預金がこんな額になってた、ってわけだ」


はあっけらかんと答えた。
それなら通帳の額も納得がいく。


「それでもどうしても仕事をケルのか?それは残念だ。」
「そうだね、せっかく100万出そうと思ってたのに。」
「それなら、士度君を呼びましょうか?彼なら必ず…。」


とヘヴンに遊ばれているようだ。
普段なら冷静にやるところだが、ニヤリと笑ったがピースサインを蛮に向けた。


「200万積んでもダメかな。」


200万あればしばらく暮らせるはず。
その金額に、蛮たちがグラっと来ないはずがなく、即座に土下座をし答えた。


「「やらせて頂きます。」」


『ハメラレてる!!』本人たちはそのつもりが無いにしろ、嵌められている。

依頼人たちが口元だけで笑った。が最後の条件を言った。


「明日までだ。タイムリミットは明日の22時。よろしくね美堂君、天野君。」
「私たちのマンションにちゃんを連れて来てくださいね。」


依頼人たちが帰って行った後、二人は下調べをしに行こうと段取りを始める。
その二人の段取りをヘヴンが遮った。


「二人ともちょっと待って。」


ヘヴンの制止の声に顔を上げると、小さな紙と携帯を渡された。
いつもの依頼時にはない支給品に蛮は顔を顰めた。


「何だ、これ。」
「下調べを既にしてくれてるのよ。探し屋さんがね。携帯のメモリーに番号が入ってるから、ちゃんの居る家に侵入したら電話を掛けてね。」


下調べせずに済んでラッキーなんだかアンラッキーなんだか分からないな、と二人は思った。
基本的には二人だけで作戦を完了させることが多い二人にとっては、協力者がいる状況があまりしっくりと来なかった。

そんな二人の心情を知ってか知らずか、ヘヴンはH.T.から出て行く準備をはじめる。
ハンドバックの中にもろもろの道具をしまいながら、二人に話しかけた。


「あとその紙は、ちゃんが居る家から依頼人の家までの簡単な地図だから失くさないでね。あと、軍資金。」


ヘヴンのハンドバックから出てきたのは、飾り気のない茶封筒だった。
明日の作戦決行までの必要最低限の食費は依頼人の二人がいつの間にか渡していたらしい。
ささやかながら、気の利いた差し入れのおかげで食事だけはしっかりと食べられた。

依頼人曰く、『しっかり食べて、しっかり休んで明日に臨んでくれ。』だそうだ。

情報以外は準備万端な状況で、蛮と銀次は翌日を迎えることとなるのであった。










next





あとがき+++

書いちゃいました、どうしましょう。
初ドリー夢。

シナリオ&キャラ設定は浅乃が考えたのに、本文はなぜか私が書いているという変な連載。
かなり長くなると思うので、お覚悟くださいね。

BY碧種


03.04.07


追記+++

読み返すと恥ずかしいところばかりで、思わず修正・加筆しました。
もはや10年も前の作品なんですね……。
自分の日本語の不自由さに冷や汗を流しました(笑)

ストーリーの本筋や台詞はほとんど変更なしですが、行間を盛りました。

もっとも懐かしい作品なので、いい加減きりをつけたいのですが、浅乃がギブアップなのでどうなることやら……。


BY碧種


13.05.047