恋しているときは楽しい
憧れは素敵
だけどね
近寄ってしまうと辛い
bitter but sweet
晴れた日は静かな教室であの人を待つ。
誰にも邪魔されない教室で聞くのはボールの音。
手と目は課題に向けながら、耳だけは軽やかな音に向ける。
「よし。あとは英語だけだ。」
数学で出されたプリントを片付けて英語の教科書とノートを机の上に出した。
1レッスン分の翻訳とその後の問題を解けば今日の目標は終わりになる。
それから大石先輩を待つだけ。
好きな人を待つということは楽しかったり不安だったりする。
もうすぐ来るだろうというワクワク感。
それから、ちょっと遅いんじゃないかという不安感。
教室に入ってきたとき、向けてくれるであろう笑顔への期待感。
そんな感情が全部混ざり合って、楽しみだけど不安な気持ちになる。
先輩は、本当に私のために姿を現してくれますか?
片付けの指示を出すだけ出して、更衣室に駆け込む。
更衣室にはすでに着替え始めているレギュラー陣がいた。
「お疲れっス。」
「ああ、お疲れ様。」
周りからかけられる挨拶の声にも適当に答えた。
傍目から見ても明らかなくらい急いで帰り支度をする。
一分一秒が惜しい。
僅かでも早く、彼女のもとへ行きたい。
前までは、皺が無いくらいしっかりと畳んでいたジャージを、適度に丁寧に畳む。
ワイシャツのボタンを一つ一つ留める事さえ、もどかしい。
もう学ランが必要の無い季節で良かった、と密かに思いながらカバンを手に取った。
手塚に歩み寄って声を掛ける。
「今日は先に帰らせてもらうよ。」
「ああ。」
「鍵は明日の朝練で渡してくれ。」
「分かった。」
部室に残る部員たちへの挨拶もそこそこに、部室から出る。
浅葱さんは、本当に俺のために待っていてくれますか?
「浅葱さん?」
「っ!大石先輩!」
リノリウムの床を靴が叩く音が近付いて、期待してはいたけど……。
時々感じる不安から生まれる、嬉しい驚きは隠せなかった。
大石先輩は優しい。
大石先輩はたくさん言葉をくれる。
それを信じていない訳が無い。
だけど一人でいるとき不安になるのは、贅沢だろうか?
「今日も勉強してたの?」
「はい。他に時間の潰し方が分からないので……。」
「なんだか申し訳ないなぁ。」
感心しているような顔から一転。
先輩は眉をハの字にして、本当に申し訳なさそうな表情をする。
そんな表情をさせたいわけじゃないし、私が待ちたくて待っているだけなのに……。
「わ、私が好きで待ってるんです!!大石先輩は悪くありません!!」
思わず立ち上がって勢いをつけて言う。
あまりに気合が入っていた所為か、先輩が呆気にとられた顔をしている。
でもその表情もすぐに緩んで、最上級に優しい笑顔に変わった。
つられて微笑むと、行こうか、と優しく声をかけられた。
こんな幸せがいつまで続くのでしょうか?
未だに少し赤面したまま、俺の左側に並んで浅葱さんは喋る。
その反応を可愛いと思う反面、もう慣れても良いんじゃないかとも思う。
一世一代の告白からそろそろ三ヶ月が経とうとしていた。
なかなか慣れてくれない彼女との下校は、距離感がある。
手を伸ばせば触れられる、けれどもさり気なく手を繋ぐにはちょっと遠い距離。
絶対領域とでも言いそうなくらい縮まらない距離。
いくら俺が奥手だとしても、悲しくなってきそうだ。
「今日は、練習…どうでしたか?」
「うん。天気もよくて、みんな調子よくていい感じだよ。」
「え、と。」
必死になって話題を提供しようとしている愛らしい姿に、ドキドキしながらゆっくり歩く。
小動物のようにちらちらと目線を送ってきたり、俺の返答にはにかんだり、一つ一つの行動が可愛い。
つい、頭を撫でたくなるくらいだ。
そんな俺の思いをよそに、彼女は今日も一生懸命だ。
でも、本当に、俺のこと好きなのかな?
喋りながら二人で帰るのは、すごく楽しい。
上手く喋れない私を、微笑みながら見守ってくれる大石先輩。
その優しい視線に晒されて、余計に顔が赤くなってしまう。
ぶつからないくらいの距離をとって歩くのは、その笑顔に弱いから。
これ以上近付いたら、心臓が爆発して死んでしまうと思う。
途切れ途切れの会話の合間に、先輩の顔を見るだけで、こんなにも照れてしまう私。
そのうち呆れられてしまうんじゃないかと考えることもある。
好き過ぎて死んじゃいそう。
心臓が持たない。
だけど時々期待してしまうの。
この手を繋いでくれますか?
伏し目がちに、時々こちらの様子を伺っている浅葱さん。
目が合うとすぐに逸らされる。
浅葱さんの視線が泳ぐほどに、会話が途切れ途切れになっていった。
ふと、彼女の右手を見た。
瞬間、ほとんど衝動と言っても良いような感情で、その手を握ってみた。
彼女が驚いた顔でこちらを見て、真っ赤になって俯いた。
その顔を見て、俺もなんだか照れた。
浅葱さんの顔をじっくり見ることも出来ず、微笑みかけながら尋ねた。
「嫌、かな?」
「……そんなこと、無いです。」
真っ赤な顔のまま俯いて、彼女は消え入りそうな声で答えた。
繋いだ手はひんやりと冷たく、微かに震えていた。
彼女の右手から俺の左手へと、その緊張が伝染してしまいそうだ。
そんなことをぼんやりと考えながら、ゆっくりと歩いた。
この手はいつまで俺のモノなんだろうか?
本当に心臓が止まるかと思った。
繋がれた手が、震えてしまうのが止められない。
あと少ししかない下校時間を、楽しむ余裕さえなくなってしまうくらいに心臓が煩い。
「浅葱さん?」
「は、い。」
「緊張させちゃったかな?」
「ぁ、だ、…大丈夫、です。」
顔が真っ赤になるのさえ止められない私に、困ったように微笑む大石先輩。
三ヶ月前から一進一退を繰り返す関係を、先輩は煩わしく思っていないか、不安になってしまう。
不安で、不安で、仕方が無い。
そんな弱気な私を、いつも見守ってくれる先輩が居る。
「……先輩っ!」
「ん?」
大石先輩の手を、ぎゅっと握り締めて叫ぶ。
私の声を聞いた先輩は歩みを止めて、私を見た。
「先輩、大好き、…です。」
「……俺も、だよ。」
やっと言えた言葉にホッとした。
浅葱さんの緊張が移ってしまったかのように、言葉がうまく出ない。
素直に好きと言える勇気が俺には無いことを突きつけられたようだった。
俺も、という簡単な言葉に微笑む彼女を見て、ちょっとした罪悪感を覚える。
歩き始めもせず、繋いだ手もそのままに、俺は深呼吸した。
少しだけ落ち着いた気持ちで彼女を見つめ、もう一度言葉を紡ぐ。
「俺も大好きだよ。」
「っ、はい!」
やっと、彼女に一番あげたかった言葉が言えた。
こんな私でも
こんな俺でも
ずっとずっと好きでいてくれる?
あとがき+++
相変わらず進展の乏しいカップルですね(笑)
久しぶりに、サイト初期の夢の続きを書いてみました。
ネタは大分前から考えていたのですが、ようやく完成です。
付き合う前と付き合った後、それぞれに甘くて苦い思いがあるんです、というのがタイトルに込めた想いだったり(苦笑)
あ、見る人をヤキモキさせる2人が初心で大好きです(笑)
by碧種
10.04.22