傷つけることが守ること
何も分かってないのは俺のほうだ
傷つけばいい
病院は薬の臭いがきつくて、ベッドがきれい過ぎて落ち着かない。
治療を受けた來は、真っ白なベッドの上で安定した寝息を立てていた。
「どうして…。」
俺は來の行動を何一つ理解できないままだった。
あれだけ酷い言葉を投げつけ、冷たい態度をとったというのに……。
傷ついたはずの彼女は、俺を離れるどころか近づいてきた。
しかも、自分の身を危険に晒してまで俺に会おうとした。
ただ一つ分かった事は、俺にとって彼女は大切な人でしかないことだけだ。
來はあれから何時間か眠り続けている。
俺にできることは、点滴で冷え切った來の左手を両手で握り締め、早く目覚めるように祈るだけだった。
「ぁ、……カカシさん?」
何時間待っていただろう。
空が白み始める頃、彼女が弱々しい声で俺の名を呼んだ。
その声を聞くと、身体が勝手に來を抱きしめていた。
「來、どーして?なんで俺なんかに会うためにこんなことをしたの?」
「だって……。」
彼女は俺の腕の中から顔だけをまっすぐ俺に向けて話し始めた。
「カカシさんが、私のことちゃんと見てくれなくなるのは嫌なんです。」
「なんで、そんな……。」
「私、カカシさんに何されたって、離れたくはなかったんです。気づいてましたよ。カカシさんが時々怯えていたことも、これ以上近寄らないでって線引いてたのも。」
「普通」を装っていた俺の行動の中から、「平凡」な彼女はたくさんのことを読み取っていた。
「平凡」だけど聡い彼女は、俺の心をたくさん知っていた。
「だけど、いつか……。私という人間を、あなたの瞳でちゃんと見て欲しかったんです。向き合いたいんです。」
話している間中、來はこれ以上ない真っ直ぐな瞳で俺を見ていた。
まるで俺の醜い部分を見透かしているようで、そんなきれいな目に、俺は堪えられなかった。
「ダ〜メだよ。俺の引いたライン越えたら、俺はその人を逃がしてあげられなくなるデショ。」
ふざけた調子を作ってみる。
すぐに打ち壊される「はたけカカシ」という仮面を被ってみた。
醜くて見せられたものじゃない「俺」を隠したかった。
「そうなりたいって言ったらどうします?」
「來……。」
「私が望んでもダメ、ですか?」
「そうじゃない。違うんだよ。」
どうやら「はたけカカシ」の仮面は、來に通用しないものに成り下がっていたようだ。
純真無垢な來にどう話していいか分からなくなった。
きれいで可愛い來を怯えさせずに、弱くて汚れた俺を曝け出す言葉を考えた。
彼女を抱きしめる腕に、より一層力を込めて俺の顔を見せないようにする。
「俺はね、來。お前が思っているような人間じゃないんだよ。」
「どこがですか?」
「大切な人を、もう、誰も、失いたくないんだ。だからね、來がこれ以上踏み込んでくるなら、全てを奪ってでも逃がせなくなる。」
「それでも、大切にしてくれるなら……。」
「違う!!!」
俺の声に來の身体がビクリと揺れた。
荒げてしまった声を抑えようと、來の顔が見える距離まで離れて一呼吸おく。
どろどろとした汚い感情を、少しでも優しい言葉で説明しようとした。
けれど、來にはきれいな物しか見えなかったようだった。
「そんな綺麗なもんじゃないんだよ。お前に枷を付けて鎖で繋いで、全ての自由を奪って、閉じ込めて……。例え泣こうが喚こうが、ずーっと、そのままにしたいんだよ。」
俺は今、どんな顔で話していたんだろう。
來は今、どんな顔で聞いているんだろう。
そんな疑問が頭を過ぎり、言葉に詰まった。
すると、俺の背中に優しく腕が回された。
「大丈夫ですよ、カカシさん。」
何を思って言っているのか、來は俺をなだめ始めた。
「カカシさんは、大切だと伝える方法を知らないだけなんです。だから、きっと、そんなことしません。」
「……けど、何度も頭の中で想像したんだよ?」
「大丈夫です。」
そっと背中に回された手がとても優しくて、俺は泣きたくなった。
來の「平凡」で、とてもありふれた優しさに。
「平凡」過ぎて目立たない、確かなものに。
俺の心は確かに溶かされていたというのに……。
「傷つけるかもしれない。」
「はい。」
「壊すかもしれない。」
「はい。」
「滅茶苦茶にするかもしれない。」
「はい。」
來を出来る限り優しく抱きしめて、可能な限りの穏やかな声で語りかけた。
俺の言葉に、來は一々頷いた。
その姿に怯えながら、最後に訊ねる。
「それでもいいの?」
「全然平気ですよ。」
間髪入れずに返ってきた言葉は、俺の心配どおり、俺のことを肯定する言葉だった。
來に肯定されて、どうしようもない感情に襲われて、來を滅茶苦茶にしてしまう。
そんなことを心配していた俺を他所に、俺の心は溶かされていった。
戸惑う俺を、來の純粋な目が俺を捕らえた。
「傷つけられるもんなら傷つけてみてください。壊せるもんなら壊してみてください。滅茶苦茶にできるもんなら滅茶苦茶にしてみてください。そんなに私は柔じゃありませんよ。」
「……、來。」
「何言っても無駄ですからね!ちゃんと私を視界に入れたからには、もう二度と無視なんかさせませんよ。」
彼女は俺の全てを見透かすかのように捲くし立てた。
來の言葉一つ一つが、俺の穢れた心も弱い心も全部洗い流していくように思えた。
ほろほろ、と。
心の澱が解けていく。
俺が逃げ続けていたのは、「平凡」な彼女によって思い出される、「平凡」な俺自身だったのかもしれない。
「平凡」で。
無力で。
誰一人救えない俺。
直視するに耐えない現実から逃げ続けていた俺。
「平凡」であることにも、「普通」であることにも拘らない來。
誰よりも真逆の位置に居た俺を、目に留めた彼女。
誰よりも遠い存在の來を、心のどこかで羨ましがっていた俺。
逃げ続ける俺と、追い続ける來。
永遠にも思える追いかけっこを終わらせたのは、來の「平凡」な勇気だった。
「無関心が一番怖いんですからね!」
「…ごめん。」
「無視とかもう止めてもらいますから。」
「うん。」
聞き分けの悪い子供に説教するように、來は繰り返し俺に言い聞かせる。
もう二度と無関心とは言わせない、と。
來はちょっと怒った様な顔をして、小さな両手で俺の両頬を包んだ。
じっと真面目な顔をしている彼女を見て、俺はついに殴られるだろうかとかぼんやりと考えていた。
しばらくの沈黙の後、彼女はにこやかにこう言った。
「あと、……大好きです。」
「ぅへ?」
俺の間抜けな返事に、彼女は怒りもせず笑う。
その陽だまりの様な笑顔を、素直に大切だと思った。
もっと素直に、
愛してると言えるまで
あと少しかかりそうだ……
あとがき+++
シリアスから一転、ほのぼのエンドなカカシさんでした。
あれぇ、おかしいな。
もっとシリアスなオチにしようとか考えてたのに、いつの間にかほのぼのしてしまいました(笑)
こんなことやってる間に、本当はいろいろ勉強すべきことが残っているのですが……。
仕事の息抜きということで(苦笑)
明日から頑張ります、と。
by碧種
10.04.16