死にゆくときだけは
貴女の為に……
entreat for ...
冬の長いこの国にも、春は在る。
少し暖かくなるだけだから他の国とは違うのね、と彼女は言った。
そして付け足すように言葉を続けるのだ。
「でも、だからこそ愛しいの。」
季節に対して"愛しい"という言葉を与えて、彼女は微笑んだ。
彼女はその手に庭園で摘んだ花を抱えている。
全てを慈しむ様な瞳で、穏やかな表情で微笑む。
「外を知らない私でも春だと分かるから。」
「そうですか。」
いつもと変わらない無表情の私に向かい微笑みかける。
「ねぇ、クルガン。」
「何ですか?」
「いつか私も、自由になれるかしら?」
何も知らない澄んだ瞳は、空の青を薄っすらと映していた。
夢見る瞳は儚げに濡れている。
柔らかな風に長い髪が揺れる。
見惚れていると、彼女は柔らかに笑った。
「ふふ。おかしいわね。こんなに裕福なのに、幸せなのに自由が欲しいなんて。」
「……。」
「クルガン?」
黙り込んだ私の顔を、彼女は微笑みかけながら覗き込んでくる。
彼女は穢れも何もかも知る事は無いのだろうと、私はどこかで確信していた。
長い歴史の中で貴族の娘たちは、言葉通りの"箱入り娘"に育てられるようになった。
心地よい温室のような家で、貴族としての振る舞いなどのみを教え込まれる。
外に出る範囲など限られていて、少しでも遠出をしようものならお付の者を連れて行かなくてはならない。
彼女たちは世間も世界も何も知ることは出来ない。
母親は彼女たちと同様に無知であることがほとんどであったし、父親は娘を育てるとはそういうことだと思い込んでいる。
幸か不幸か、今まではそれで良かったのだ。
澄んだ瞳を見詰め返すと、彼女は嬉しそうな表情に変わる。
上品ながらも、彼女の表情はよく変わる。
目元や口元が彼女の僅かな感情の変動に応答するようだ。
今度は少し哀しそうな顔をする。
「ごめんなさいね、クルガン。とても忙しいのに付き合わせてしまって。」
「お心遣いありがたく存じます、殿。」
私の言葉を聞いて更に哀しそうな顔になる。
「、と。……呼んでは下さらないのですね。」
「申し訳ありませんが、それだけは……。」
「分かってるわ。そんな事をしたら、貴方がお父様に怒られてしまう。お気になさらないで。」
ふわりと、それでも哀しげに笑う彼女は美しい。
美しく、儚く……。
だから私は恐れる。
怖れる余り、何も出来なくなる。
けれども精一杯の努力で動き始めた。
「クルガン?」
「誰も、見てはいません。私と貴女しかいない。」
弾みがついてしまえば口も身体も簡単に動くのだと、そのとき初めて知った。
彼女の肩と腰に手を回し、ゆっくりと抱き寄せる。
驚きに強張る彼女をそっと抱き締めて、そのぬくもりを感じる。
しばらくすると、彼女の肩から徐々に力が抜けるのを感じた。
「自由になれたら、人目など気にしなくてよくなるのに……。」
いずれ彼女は、望もうと望むまいと、身分から自由になることが出来る。
そう遠くない未来に、いずれは。
しかしそのような事を彼女に言うわけにはいかない。
教えてしまえばおそらく、彼女は私と共にどこかへ行く事を望むだろう。
しかし、貴族の娘である彼女が自由になった時、軍人である私はいない。
否、居てはいけないのだ。
私の想いを知ってか知らずか、彼女の腕がそっと背中に添えられる。
委ねられた重みに喜びと同時に哀しみを感じる。
「殿。」
「はい。」
「出来る限り早く、今日明日中にも、ルルノイエから出て行かれたほうが宜しいかと存じ上げます。」
「え?」
目も合わせずに放った言葉は、予想以上に彼女を困惑させたようだった。
見上げてくる視線に耐え切れずより強く抱きしめる。
「な、ぜ……?」
「ハイランドは今は静かですが、近々戦渦に巻き込まれるでしょう。そうなる前にお逃げ下さい。」
「……それでは、クルガンは?……クルガンはどうするの?」
「それは……。」
実際の年齢よりも幼く見える瞳で見上げているのだろう。
やや背伸びをするような態勢で私に迫ってくる。
とてもじゃないが、そんな彼女に真実を告げる事は出来ない。
柄にも無く少しだけ微笑んで空言を告げる。
「危険が去れば、殿を呼び戻しに参ります。」
「本当に?」
「本当です。」
「絶対ですよ。」
「ええ、もちろん。」
普段人の言葉を疑わない彼女が、今日は珍しく念を押す。
何食わぬ顔で並べる私の嘘をどこかで感じ取っているようだった。
力仕事を知らない細腕に力が込められる。
「いつまでも待っています。ずっと、ずっと。」
静かに泣き始める彼女に、私が出来る事は何も無かった。
それでもただ
死に逝くときは
国の為ではなく
他の誰の為でもなく
貴女の為に……
あとがき+++
これは……悲恋か?
一応両思いだし……。
死にモノにもあらず……(まだ生きてるから)
でもDEEPだよねぇ(笑)
ってな具合の葛藤(?)を切り抜け、始めましてのクルガンさんです。
誰に何と言われようと、クルガンです。
一人称が"私"なクルガンです。
一人称"私"は書きにくいや(苦笑)
(entreat for は 〜を懇願する と言う意味。)
by碧種
05.12.24